代表者の挨拶
私が生まれたのは1964年、東京オリンピックの年でした。
オリンピックを皮切りにこの57年間で日本の状況は大きく変化してきました。それはまさに第二次対戦後の復興期を象徴する時代であり、父や母の世代が頑張ってきたおかげで日本は豊かになりました。そこでは多くの新しい仕事や多様な文化も生まれ育まれました。一方日本の経済成長を支えてきた世代は今や高齢化し、少子化と相まって日本を象徴する課題となりつつあります。資本主義発展に伴う地球温暖化やそれに伴うサステイナビリティなどという言葉も尤もらしく語られるようになりました。またA Iに代表される機械の台頭により生活が便利になる反面、従来の仕事が失われていくかもしれません。震災を皮切りにコロナ禍も相まってSNSの急速な普及が進み、様々な情報が時時刻刻と入り乱れ飛ぶようになりました。もはやオンラインで「初めまして」が当たり前の社会になりつつあり、一部はメタバースに移行しつつあります。
今や何を信じれば良いのかも不確実な世の中ですが、おそらく人の本質はそんなに変化していないと思います。特に、生きる意味を見出そうとする点においてここ2000年くらいは変わっていない。それは同時に人が死について考える事ができる生物でもある事を指しています。私自身高校生くらいからずっと「自分は何のために生きているのだろう?」と考えてきましたが、いまだに明確な答えは見つかっていません。
最近認知症に関わる仕事に携われたおかげで、生きている事自体が素晴らしいと思うようになりました。2022年4月には自身前立腺がんの手術を受けその思いが強くなった気がします。吉田兼好が徒然草の中で「死を憎むなら生を愛でよ」と言っていますが、これはまさに人としての当たり前の喜びを当たり前に感じる事ができる様な生き方をしなさいという事で、「何のために生きているのか?」という質問自体が贅沢なのかもしれません。でも考えてしまう、「人として生まれたからにはそれぞれ人として喜びを感じる事ができる「場」があるんじゃないか」と。自分らしく「いきる」ことを味わい尽くすための「場」、いつ死んでも後悔しない、「今をいきる」ための「場」。私たちはそんな「場」の創造をお手伝いして日本の再生に貢献したいと思っています。それがN P O「いきる場」の存在意義でもあります。
NPOいきる場 望月謙治
沿革
13.04 | 本NPO法人設立 |
13.08 | 芝山町にて農業事業開始 |
14.03 | 企業研修プロジェクト始動 |
14.09 | 井戸完成 |
15.05 | 農業を通じた人材育成プロジェクトHagukumu開始 |
16.08 | 株式会社つながるの設立支援 |
17.04 | 芝山町での農業事業を株式会社つながるに移管 |
18.12 | 芝山町ふるさと納税に参加 |
21.08 | 芝山寺子屋プロジェクト第1弾を実施 |
22.03 | 芝山寺子屋プロジェクト第2弾を実施 |
定款・報告書
東京都生活文化局のページからご覧頂けます。